せわしい現代に生きながら、溢れる情報を頭に叩き込む今日の演奏家・音楽家。
残念ながら真の巨匠と呼ばれる演奏家は生まれてこない。
或は、次第に希少になるであろう。
巨匠が育った緩やかに流れた古き良き時代を思うと、演奏活動一つにとっても、移動は船か汽車であり時間は余るほどあり、演奏家も楽団員もゆっくりコミュニケーションが取れた。
巨匠たちはゆっくりと車窓を眺めながら、駅弁を食べていたのに違いない。
そんな自由な時間の中に創造・閃きなどが浮かんできたと思います。
慌ただしい時間には限界もあり、今の演奏家は小粒になってしまうのではないだろうか。
余談ですが、天才と呼ばれる演奏家は学問的な事は知らないでいる者もいます。昔も今も天才肌の音楽家・演奏家に多い。なまじ知らない方が、自由に羽ばたけるのです。
そして大自然と人間とが昔のように一体化しなければ演奏家はさらに小粒になっていってしまう。今の時代、なんでも直ぐに評価されてしまい、熟成期間があまりにもなさすぎる。
さて、私たちも含める演奏家・音楽家は21世紀をリードしてゆく大きな人材は育ってゆくのだろうか、真の巨匠は生まれるのだろうか。
ただし、現代の情報量を逆手に取れば、あらゆるタイプが共存して楽しめる時代でもあります。
こんな現代も捨てたものではありませんね。
真の巨匠が誕生する事だって実はあると思います。
21世紀、そろそろ曲がり角にきているのだと思います。